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死に方が選べるとしたら

 

 

「そこまで言って委員会」を見ていたら、
医療費抑制の話で、「ぴんぴんころり」だの「尊厳死」だのの話になりました。
 
それを見ていて考えたことなんですが、
 
ぴんぴんころりって、死に方としてどうなのでしょうか。
 
心の準備というか、人生を終えるための準備って、必要なのではないでしょうか。
 
 
 
死ぬということがリアルではない人たちの、一種の夢みたいなものなのかなとも思いましたが、
 
「生、老、病、死」は、ではなく一連の流れ、すなわち「線」であり、
 
死という得体の知れない、恐怖を乗り越えるための一つの準備期間が「老い」や「病い」なのかも知れないと思います。
 
そこをすっ飛ばして、果たして人は「死」に納得し、受容できるのでしょうか。
 
 
人は、いつか死ぬものだということは感覚的には皆分かっていることですが、どこか自分ごとではないような気でいる方が、大半です。
 
 
少しづついろんなものを諦めていって、受け入れていって、ようやく向き会えるのが「死」というものなのではないかなと、現実的にはそう感じます。
 
 
死に方は選べないといいますが、
もし選べるとしたら。
 
 
「痛み」がだいぶんコントロールできるようになった、「がん」という死に方は、そんなに悪いものではないのではないか、と私は思います。
 
 
というか、
私なら「がん」で死ぬことを選びます。
 
 
多くの医療者も、現実的に死に方を選べるとしたら、そう思うのではないかと思いますのですが、どうでしょうかね。
 
 
「生きるチカラ」を育てるという教育がありますが、同じように、「後悔のない死に方」を自分で考えることのできる教育って必要なのではないかと感じました。
 
まずは、死をタブーにしないことからからでしょうね。
 
 
 
 
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「よりよく死ぬ」ことと、ニア・イコールだとも考えています。
 
 
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メディカルマネジメントオフィスModerato
 
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